剛柔流
ルールーコー(謝如如)
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1852年生。鳴鶴拳羅漢拳の名師。 |
東恩納寛量
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1853年生。新垣世璋に師事し、若くして有名な武術家となる。22才の時、中国・福洲に渡り、ルールーコーに師事。帰国後、宮城長順、許田重発らを育成した。沖縄空手(唐手、手(ティー))の中興の祖。 |
宮城長順
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明治21年生。14才の時、東恩納寛量に師事した。後に那覇手を剛柔流と命名し、また幾多の傑出した武道家を輩出するなど文武両道を極めた武人である。「人に打たれず 人打たず ことのなきをもととする也」 |
比嘉世幸
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明治31年生。13才の時、東恩納寛量に師事。師亡き後は、兄弟子宮城長順の教えを受け、多年にわたり、空手道の研鑽を積んだ。 |
福地清幸
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大正8年生。沖縄県立第一中学校当時、剛柔流比嘉世幸に師事、空手道を修練し、のちに剛柔流専武館を開設し空手道の普及発展に全勢力を傾注された。 |
泊手
仲宗根正侑
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明治28年生。松茂良興作の高弟、松茂良興佐、伊波興達、真栄田義任、仲里睦弼らに師事。 |